青い日記帳のTakさんのtweet経由で、試写会に参加させていただきました。
12月22日土曜日より、恵比寿ガーデンシネマなどで、全国ロードショー。
日本で今、「バスキア」といえばやっぱり、ZOZO TOWNの前澤友作社長が購入した絵画で有名。
「美しいものを見てもらい、人々と共有したい」と前澤は言い、世界各地の美術館にも所蔵作品を貸与する考えがあると付け加えた。「自分のためだけにとどめておくのはもったいない」。
上記の「NYタイムズ」インタビュー記事日本語訳を引用
色々言われてる前澤社長ですが、個人的には、同い年なのにどんどん新しいことに挑戦するところや、わかりやすいお金持ちな感じが好きです。しかも、作品を一般人にも公開してくれるタイプの蒐集家ということで、ありがたい存在です。
話は逸れましたが、映画の内容へ。
1978年からバスキアが亡くなる7年前の20歳頃までの映像。
バスキア自身の肉声は全くなく、元恋人、ルームメイト(大家?)、同年代のアーティスト、キュレーターなどの語りからバスキア像が浮かび上がる構成。
最初は、本作の監督であるサラと、現在もパートナーというジムがNYCを歩くシーンから始まります。突然、現れたというバスキアがすぐに消えて、、、続きは映画で。
バスキアについては、ほとんど知識がないので、私が注目したのは、登場人物とバスキアの詩に使われている英語。
登場人物の教育状況によって、使ってる英単語が全く違います。
ただ、単語が豊富ならば、表現豊かか、というと全く関係ないことを、この映画は教えてくれます。
単語は単純なものばかりですが表情豊かで、見てるだけで気持ちの伝わってくるひとたち、一方で、少し難しい単語を使用してバスキアの作品について語るけど、表情は乏しいひとたち。
バスキアはどちら側の人にも魅力的で、彼の作品もハッとするものだった、ということが印象に残りました。
アメリカの大統領選では、大統領候補のスピーチに使用された、英単語数が話題になります。
Make America Great Again
などは、アメリカ人のみならず、日本人の私にもすっと馴染むのに、ヒラリーの言葉は全く覚えてません(少なくとも私は)。
バスキアの詩も、ほとんどは、外国人でも親しみやすい英単語。
なんとなく、そのことも、彼が世界中に影響を与えているアーティストである理由の一つであるように思いました(でも世界観は難しいので、理解は難しいという二面性?)。
難しいことは置いて、バスキアが転がり混んで来て、数人で同居したものの、夜中に騒がしくてバスキアとガールフレンドを追い出したという黒人女性が懐かしそうに、
「誰かを憎んでも楽しくないから、またふたりと仲良くなったわ」
と。
なんとなく、全てはこの人の言葉に集約されてるような気がします。
バスキアは、喧嘩して追い出してもまた、仲良くなれるような青年だったから、関わった人たちが懐かしそうに、時に顔を曇らせて(多分、彼の死を思い出してるのかと)、映画の撮影に応じてくれたのかも。
エンドロールにも注目してみてください。黒人差別の強かった時代を反映してか、黒人2人が向き合った「ルビンの壺」になってる箇所も。
試写会後は、ミヅマアートギャラリーの三潴末雄さん@mizumaartと青い日記帳Takさん@taktwiのトークイベント。
黒い長いコートにキャップで登場された三潴末雄さん。とても大きな方で、迫力が。
映画に出てきたスプレー缶によるアートへのオマージュとして、90年代の日本人デザイナーによる、「内ポケットにスプレー缶が隠せるコート」を着用してきてくださったとのこと(怖いひとではなかったんだ、、、)。
三潴さんは、直接バスキアと会ってる訳ではないとおっしゃりつつも、バスキアの部屋の隣に、ご友人が住んでらしたそう。さらに、そのご友人が、バスキアがまだ生きている時に、バスキアが寝ていた ロッキングチェアを貰ったそうで、そのロッキングチェアにも座ってらしたそう!
会場は爆笑。
NYCのアートエリアの変遷についても話が飛び、どんどん膨張。
もともとは倉庫があったSOHO 地区にギャラリーが増え、家賃高騰し、 チェルシーへ移動 。チェルシーはプエルト・リコ移民が多い地域で、バスキアも両親はプエルト・リコ人なので、チェルシーに住んでいたそう。
映画内で、バスキアを初期から高く評価したディエゴ・コルテス(キュレーター)については、会田誠さんをかなり早くから評価した人物というお話も。
三潴さん「バスキアは、若くして亡くなったことは評価と関係ない。あの時代にやってた先端的なことが評価されて、美術的な価値が高い」
また、バスキアが自分の作品を1万ドル、10万ドルなどと言っていたことについても、
「彼は自分の作品の未来の値段を知ってたんだ」
と。
また、生物学者の元彼女が、バスキアが残した冷蔵庫も保管してることに触れ、
試写会参加者へのメッセージとして、「若くて気になるアーティストがいたら、メモ書きでもゴミのようなものでも持って帰るように!」と(笑)。
ご自身は会田誠さんが90年代にバラック小屋で暮らしていた際、「ドローイングを落ち穂拾いしてた」(ミレーもびっくり!)り、水道滞納の赤紙を持ち帰られたにも関わらず、「盗難はだめ」と(笑)。
こういう方がいらっしゃるので、新しい才能が、どのように生まれて育っていったか、持ち物(?)から、後々、推測していくことができるんだ、、、と納得。
村上隆さんの 90年代 のタミヤの兵隊の作品を1万円で購入したところ、あの村上隆さんが喜んでいたそう。そして、後日、お母様と歩く村上隆さんが三潴さんを見つけ、
「お母さん、僕の絵を2番目に買った人だよ」
三潴さん「村上は律儀なやつなので、芸祭を開いて若手に同じ経験をさせたいと考えてる」と絶賛。
このような話、今年はじめの原美術館の原俊夫さん初キュレーションの展覧会でも聞きました。原さんが、当時は毛沢東をパロディーにした、極刑になってもおかしくない艾未未の作品を購入したところ、それがアーティストにとっては最初の購入してもらえた作品だったらしく、数十年後に原さんと遭遇した際、駆け寄ってきて、「Mr.ハラ、あなたが僕の作品を最初に買ってくれた方ですね。」という話と似ていて、アーティストとコレクターの関係って、鑑賞してる側にはわからない、熱いものが流れてることを感じました。
最後の方で、三潴さんが、バスキアの絵画や音楽(クラリネット等の楽器も演奏)を褒めながら、
「それでも、バスキアは教育受けてないのが素敵だね!」
とおっしゃっていたのが印象的でした。サングラスなのに、温かい笑顔が伝わってきました。
そのことを呟いたところ、リツイートしてくださいました。ありがとうございます。
美術教育って、生まれ持っている感性を知識で壊しているのでは…と危惧しています‼️ https://t.co/2Eq7HGKTXc
— 三潴末雄 (@mizumaart) December 17, 2018
教育を受けてないことを素敵と言える、教育を受けてないことのプラス面がわかる、そんな、本当のダイバーシティが生まれる社会。想像しながら、スーツの男性がほとんどの列車内に乗り込みました。
素敵な試写会に誘ってくださったTakさん、ありがとうございました!
今年は、専門家の暴走を、優しくファシリテーションするTakさんを何度も拝見しました。いつも温かいTakさんのファシリテーションとトーク。普段の仕事の参考にもなります!