横浜美術館が、横浜トリエンナーレ2020を前に開催してくださった「美術館と国際展をめぐる連続講座」の第3回「美術館という建築物と展覧会の関係」に参加させていただきました。
講師は、たまたまらしいのですが、おふたりの徹平さん。
藤原徹平さん(フジワラテッペイアーキテクツラボ主宰 / 横浜国立大学大学院Y-GSA准教授)
金氏徹平さん(美術家 / 京都市立芸術大学彫刻専攻専任講師)
まず、藤原さんが横浜育ち、横浜国大の先生、ということで、横浜万博の話や横浜美術館ができたときの話をしてくださった。私は横浜出身ではないけれど、藤原さんとは同い年で、塾や高校、就職先が横浜市、買い物も横浜を利用していたので、横浜万博の高揚感、横浜美術館という大きな美術館がみなとみらいにできたときの衝撃には頷きっぱなし。
藤原さんは街や都市に興味をお持ちの建築家で、「まちのリビングルームとしての美術館」として、ロンドンにあるV&A の中庭を紹介してくださった。中庭を公園として使用していて、水浴びをしてる子供たちもいる空間。美術館とは思えない雰囲気。
藤原さんは直近の横浜トリエンナーレ2017では、建築担当だったそうで、
艾未未さんの救命具で飾られた横浜美術館入り口は、「顔のある建物」を生かしていたそう。顔があるから変えやすい、とも。
そして、何度も出てきたのは、「横浜美術館の建物はいかつい」というフレーズ。今回の講座のキーフレーズ。
また、横浜美術館は位置的に、都市軸を受ける所に立っており、本当に良い立地。陸から海への通り道の真ん中にどっしりと建てられてるのも都市計画の一端らしく。横浜みなとみらい地区の都市計画は、大高正人さんという有名な方が携わられ、建物の高さの制限なども設けず、その時に応じて変化していくような都市を目指していたそうで、今は横浜美術館の前には大きなショッピングセンターが。
鎖国から開港して発展していった横浜らしい、柔軟な都市計画でいいな、と感じた。
本来、丹下健三さんが建てられた際は、グランドギャラリーは通り抜けられる都市空間として計画されていたそうで、今は関係者以外は通り抜けられないことに疑問をお持ちのご様子。
横浜トリエンナーレ期間中は、他会場への移動のバス乗り場の関係で通り抜け担ってて、開放的だったのを思い出す。
藤原さんのお話では、グランドギャラリー含む横浜美術館は、実は「ポルティコ的なつながりの空間」を目指していたのではないか、とのこと。
Wikipediaより引用
ポルティコとは、イタリアのボローニャがそのポルチコで大変有名である。全体では45 km 以上のアーケードになっており、市内中心部だけでも38 km ある。
そんなポルティコ内のセミナーのようなものが大学へと発展していったらしい。
ポルティコ的なつながりを目指したのは、横浜トリエンナーレ2017の「川床」のような木材をゴムを挟んで大理石に固定した内装だったそう。あの印象的だったグランドギャラリーの木製の床や囲いについては、当時、不思議な造りになってるなあと感じたけれど、作品を鑑賞しているときに、他の人に見られてる感じをなくしてくださっていたそう。確かに!横浜美術館の大階段にある彫刻を見ていると、他の人に見られてそうで気になるので、そうかー!と、また頷いてしまいました。
そして、縦と横で見えるものが異なってたので、回り込んで見てみようという気にさせるようにしていた、と聞き、たしかに遠回りして作品を見たなあと思い出す。封鎖された階段の話には、当時、「えー、ひどい。通れない」と不満に思ったことも思い出してしまった。
藤原さん、横浜出身者だけあって、横浜美術館への思いもめっちゃ熱くて、いいぞ、いいぞー、とか心の中で応援してしまいました。
「まちのなかの工場としての美術館」
「町の公園としての美術館」として、横浜美術館に期待をされていて、金氏さんからの「理想の美術館は?」という質問には、「なんでもやれるけど、きっかけを与えてくれる更地。街と美術館の間、間が足りないのが近現代なので、間の空間の作り方を市民を含めたみんなでギトンする必要がある」と熱く回答されてました。
金氏さんの講演、その後のクロストークは続きで。
藤原さんの熱量、本当に良かったです。
横浜市の話題というと、財政難ばかりだったので、藤原さんの具体的な提案には、スカッとしました。同い年で横浜というキーワードだけなのに、勝手にファンになってしまった。こういう方が横浜国大で教鞭を取られてることも嬉しかったです。