アーモンドの花を探しに

アムステルダムに住んでいたのら博士(理学)のMooiが好きなことやひとりごとを書いてます。2020年4月に国家資格キャリアコンサルタントを取得し、お役に立ちたいと考え中。

「仁和寺の仏 皇室ゆかりの宝物を知る」に参加して【令和の家光はんにならんとや】

両親がY新聞を購読してるので応募した、「京都・仁和寺観音堂 特別公開記念講演会 (2)」に参加してきました。

仁和寺というと、古文の授業で読んだ吉田兼好作『徒然草』第五十二段を思い出す方が多いのではないでしょうか。

仁和寺にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。

すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。

 私が訪問したのは、阪神大震災の次の年だった記憶があります。阪神大震災で壁にひびが入るなどの被害が出ていたので、次の年に行く事にしたのでした。

仁和寺のホームページ(とても上品!)

www.ninnaji.jp

関東人には、徒然草で有名な仁和寺

どんなお寺なのだろうと思い、今回の講演会参加に至りました。

 

仁和寺執行長の吉田正裕(しょうゆう)さんがお話してくださったのですが、大変興味深くて、面白かったので、紹介したいと思います。

仁和寺は皇族が作った格式高いお寺

仁和寺ですが、実は「格式が日本一高いお寺」だそうです!

886年に第58代光孝天皇が「京都の西にお寺を建てたい」と仰せられたのがきっかけで、残念ながら光孝天皇は887年に崩御されてしまったものの、第59代宇多天皇が引き継ぎ、888年(仁和4年)に建立されたのが仁和寺だそうです。

天皇が初代住職(こういうお寺や住職のことは「門跡」というらしいです)なので、「御室(おむろ)仁和寺と呼ばれて、今も御室仁和寺駅嵐電の御室駅にも残ってるんですね。

 ▼あの「もっと知りたい」シリーズに仁和寺が!当然といえば、当然ですが、初めて知りました。

もっと知りたい仁和寺の歴史 (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたい仁和寺の歴史 (アート・ビギナーズ・コレクション)

 

 

藤原摂関家の時代に、あえて菅原道真を重用されたのが宇多天皇

宇多天皇、何か名前を聞いたことがあるけど、何したひとだったけ、、、と思って聞いていると、あの菅原道真を重用された天皇でした!おお!そうだった!

平安時代の「国風文化」を進め、「白紙に戻った遣唐使で覚えた894年の遣唐使廃止も宇多天皇だったとか。試験に出たかもしれない。。。

 

宇多天皇が譲位された後も、次の醍醐天皇に重用され、右大臣まで上り詰めたのですが、藤原摂関家に嫌われ、太宰府島流し(今なら、福岡の方がコスパ良くて、住みやすいですけどね汗)されました。歴史の授業が蘇ってくるようですね。

譲位されて、仁和寺の初代門跡になられていた宇多天皇でしたが、御所まで出向き、菅原道真の左遷を止めようとしたとか。フットワーク軽い。

宇多天皇の思いは片思いではなく、菅原道真も左遷の前に宇多天皇に謁見したいと、仁和寺まで来て、御影堂の前の「菅公腰掛岩」に座って待っていたとか。でも、会えなかったようです。この「菅公腰掛岩」、今でも仁和寺境内に残ってるそうです。この岩のある「水掛不動尊」は、後で紹介する仁和寺のパワースポットのひとつです。

 仁和寺北野天満宮には深い絆が

 そんな宇多天皇菅原道真の深い絆も虚しく、離れ離れになり、菅原道真は九州で他界。その後、御所に雷が落ち、「菅原道真の祟りだ」と恐れられたのは有名な話。そこで、菅原道真を祀ったのが、今の北野天満宮

仁和寺北野天満宮、歩くと結構、距離はありますが、宇多天皇仁和寺の近くに建ててあげたそうです。

その後も北野天満宮の松が枯れたら、仁和寺の松を移植するなど、今も絆が残ってるそうです(最近は松も枯れる事なく、移植もしてないとか)。

 ▼摂関家に睨まれなければ、宇多天皇と雅な文化を継続していったのだろうなあ。 

摂関政治と菅原道真 (敗者の日本史)

摂関政治と菅原道真 (敗者の日本史)

 

 

▼漫画で学ぶのが一番早い

応天の門 1巻 (バンチコミックス)

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幻の観音障壁画が初公開

実は今回のご講話は、「観音障壁画」の初公開がメインでした!

1467年の応仁の乱では、仁和寺も大きなダメージを受けたそうです。

先日、社内の京都出身の方も「応仁の乱以来、火事がないからねぇ」とおっしゃってましたが、吉田執行長からも、「京都人にとって、先の戦いは第二次世界大戦出なくて、応仁の乱なんですよね。」と苦笑されてました(吉田さんは広島県ご出身)。

応仁の乱から江戸時代、第三代将軍・徳川家光が二条城に来訪した1640年、仁和寺第二十一世の覚深親王仁和寺の再建をお願いしたそうです。家光はその提案に同意。

家光が出資した金額、いくらだと思います?

24万両、今では200億円以上の価値だとか。

そんな再建の際、今度の令和の「即位の儀」でも登場する(?)、紫宸殿(ししんでん)を移築したのが、今の仁和寺の金堂(こんどう)だそうです。紫宸殿て、何度か使用したら建て直すので、こういうリユース、いいですね!

この再建でできた建物のひとつが今回、初公開の「仁和寺観音堂重要文化財)」の「観音障壁画」です。

 ▼Y新聞にやってきた高細密復元の「観音障壁画」の一部(*許可を得て撮影しております)。

こちらは観音様の真後ろで、実際には横からしかでないと見えない観音様。

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 ▼三十三分身体になって、人を救ってす観音様(たちっていうのかな?)

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この観音堂は、修行僧しか入らなかった上、まだ日が昇る前に修行をしていたそうで、373年前に描かれた障壁画なのに、こんなに綺麗な色で残ってるそうです!修行僧時代、吉田執行長も、「暗くて、こんな壁画があったなんて、知りませんでした」とのこと(びっくり!)。

今回、この観音堂を6年かけて半解体して修復し(壁画は解体できないので)、初公開となったわけです。

「ワンピース観音」を探そう

吉田執行長のお話は本当に楽しくて、この三十三体に分身してる観音様の中には、人を救おうとして、「手が伸びてるお姿もあるんです。ワンピース観音ですね。こんな昔からワンピースあったんですね。」と。

今回やってきた複製画には、「ワンピース観音」様はいらっしゃらなかったので、現地で探してみたいと思います。

仁和寺の門は三大門

仁和寺の門も結構、大きいのですが、南禅寺知恩院と並んで「三大門」と呼ばれてるそうです。他の門は禅寺で、2階に登れるのですが、仁和寺の門は登れないそうです。

東京の浅草寺の門は、なんと!仁和寺の門がモデルだそうで、やはり登れない門だそうです。知らなかった!

パワースポットに溢れてる仁和寺

仁和寺ですが、長い歴史があるだけに、色々な逸話の残る場所が多いです。

今風に「パワースポット」と呼ばれてましたが、こういうかわいいパンフレットから、若い方達も歴史やお寺に興味を持ってくれるといいですね。

個人的に気になったのは、「御影堂」の半蔀(はじとみ)にあるという、「金の蝉」! 蝉は「(鳴くので)防犯」や「再生・復活」の意味もあるのとか。再生・復活というか、そもそもずっと、地下に眠ってるロスジェネにも気になる存在、金の蝉!

また、このパンフレットには載ってませんが、お話では、「トンボ」もいるそうで、「前にしか進まない」ことから、良い意味を持ってるそうです。

 

仁和寺はパワースポットだらけ

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令和の家光はんにならんとや

文化庁の方針が変わり、文化財は「保護する」から「保護をしつつ、利活用」、つまり、自分でも稼げや、ということになってしまったそうです。

「今の時代、家光はんはなかなか見つかりませんで」、とのことで、今回の「観音障壁画」の拝観料1000円(高校生以下は「次世代への文化支援」で無料!)で「令和の家光はん」になっていただけませんか?とのことでした。

▼本物の令和の家光はんになってくれるのは、外国人セレブ観光客かも!?でも、庶民の1000円が積み重なる事の方が大きい気がする。

forbesjapan.com

嵐電の観音電車に乗って、「御室」駅から仁和寺へGo!

四条大宮駅〜嵐山駅または北野白梅町駅を結んでいる嵐電(らんでん)。とっても便利な上に情緒もあって、私は好きなのですが、期間限定で、「観音電車」なるラッピングカーが走ってるとか。

 ▼当たり前のように「嵐電」と書いてしまいましたが、京都で愛されてる路面電車で、桜の時期は、桜のくぐり抜けもあり、大人気です。

嵐電ぶらり各駅めぐり (らくたび文庫 No. 9)

嵐電ぶらり各駅めぐり (らくたび文庫 No. 9)

 

 

▼ホラー!?観音電車、天井から手がたくさん伸びてるんですね。これはたしかに「ホラー」かも!!

j-town.net

仁和寺は京都の北西側、龍安寺などに近いところにあります。

www.google.com

「観音障壁画」の公開に間に合わなくても、御室桜が待ってますよ

残念ながら、短い期間とはいえ、京都、奈良に住んでいた私も見たことがないのですが、仁和寺には、遅咲きで有名な「御室桜」という、背の低い桜があります。吉田さんによると、「地盤が泥か何かで根が張れなくて大きくなれないようですねえ」とのことです。

▼クリックすると、御室桜が咲く光景がみられます。

www.ninnaji.jp

個人の感想

世界遺産にも認定されてる仁和寺ほどのお寺が、修復の際、経済的に困窮して、お坊さんが全国を復元屏風とともに巡ってる事はショックでした。仁和寺を訪問した際、良い意味で、観光地化されていないお寺で、京都に来たなあと感じた日のことを思い出しました。

私は、この仁和寺と同じく嵐電沿いにある広隆寺が好きなのですが、あの国宝第一号の「弥勒菩薩像」もそのうち、集客に励まないといけなくなるのだろうか、と思うと、寂しくなりました。