仕事帰りに、新宿の伊勢丹や世界堂、マルイアネックスにほど近い、KEN NAKAHASHI ギャラリーさんへおじゃましてきました。
今年3月9日、45歳の若さでこの世を去った現代作家・佐藤雅晴さんの追悼の展覧会が開催されています。
中橋さんがこの時期を選ばれたのは、東京含む、関東のお盆だからだそうです。
7月27日土曜日夜7時まで。
- 会期:2019年7月12日(金)- 7月27日(土)
- 会場:KEN NAKAHASHI (160-0022 東京都新宿区新宿3-1-32 新宿ビル2号館5階)
- 開廊時間:11:00 - 19:00
- 休廊:日・月
▼佐藤雅晴 "I touch Dream"
▼地図 新宿三丁目駅C1出口から3分くらい。
またはJR新宿駅南口から徒歩7分くらい(新宿御苑方向へ)
KEN NAKAHASHIギャラリー。昭和レトロという雰囲気の雑居ビル5階にあります。正直、最初は入りにくい雰囲気の入り口かもしれません。でも、タイムトリップする気分で、ビルの中に入ってみましょう。
5階にありますが、エレベーターはありません。
昭和のやや急な、懐かしい階段を、手すりに摑まりながら上ると、その優しい空間がありました。
佐藤雅晴さんの《I touch Dream #》、ただ1点の作品のみを展示してくださっています。
説明は不要なくらい、その空間で、ブラウン管テレビでご覧になるのが一番です。
▼ブラウン管なので、写真に撮ると、ノイズが写るのが懐かしかったです。
▼なんとなく、雨の日に見ても美しいかも、と思うような、床への画面の反射。
モノクロの世界に描き出される、当時、佐藤さんがお住まいだったドイツと思われる街。黒い人影。蝿。男。
どんなつながりが?ご覧になって、外からの光、音や風も含めた空間とともに、作品を味わってください。
最初に拝見したときは、心がざわつくような思いになりましたが、3分間の映像を何度も見ているうちに、なぜか心が落ち着いてきました。
街の光景も自転車も最初より親近感すら湧いてきました。不思議な世界です。
▼一体、誰の何の夢なのでしょう。
オーナーの中橋さんが、今回の展覧会のために、あえてライトを1つにし、作品とシンクロさせていること、そして、今年初めの「死神先生」でも展示されていた《now》も展示されてることをお話してくださいました。
▼《now》
死を覚悟する時に一番大事になるのは、過去でも未来でもなく、現在 《now》、と「死神先生」の解説で読んだ記憶が。
無限に繰り返し流れる《I touch Dream #1》に呼応するように、会場出口上に《now》も展示してくださっています。
作品が制作された頃に近い形で発表するために、ブラウン管テレビもご準備してくださったそうです。テレビの位置も考え抜かれた場所のように感じました。追悼展覧会なのですが、お雛様を思い出すような、丁寧に、大切に、床に設置された様子が伝わってきました。
50kgもあるブラウン管テレビ、エレベーターのない、この部屋まで、どうやって運ばれたのでしょう。。。何となく、手動のような気が。
▼会期は終わっていますが、とても印象的な展覧会でした。電気のスイッチを消した時に小さく「ここだよ」と光る灯にも心をくだいてらした佐藤さん。
中橋さんが、生前の佐藤さんのお話をしてくださいました。ドイツで今回の作品を制作する際、ドイツに渡った当初、唯一だったご友人をモデルに、街中で写真を撮影し、それを元に、部屋の壁いっぱいの紙に木炭で絵を描き、撮影し、また紙を広げて描く、、、毎日毎日、その繰り返しで、今回の映像になったそうです。。。
想像するだけでめまいのするような、根気のいる制作です。
そんな佐藤さんですが、当時はパソコンは全然だめだったそうで、地元のドイツ人と日本人のハーフで、エンドクレジットにも名前の出ているRay Satoさんという高校生が手伝ってくれ、絵を読み込んだりして、映像作品となったそうです(偶然、佐藤さんだそうです。私、ご兄弟かと思ってました汗)。
佐藤雅晴さん、大垣美穂子さんご夫妻がいつも明るくて、ギャラリーの外でも笑い声が聞こえて、在廊がわかったことなども伺うことができました。
そんな明るい佐藤さんだったので、長い間、闘病ではなく、癌と共存できたのかもしれません。最後は「がんちゃん」と呼んでらしたそうです。すごい精神力です。
▼ブラウン管ですね。
ただ、学生時代から病気に関する基礎研究、それも、国内外で主に、癌の基礎研究に携わっていた元・研究者の身としては、大好きなアーティストを癌で失ったことは悔しいです。
今年は、病魔との闘いの中、佐藤さんは3箇所で同時に作品を発表されるという快挙をなされてました。とても好きな作家さんなので、今でも過去形で書くことに躊躇してしまいます。3月にblog記事の下書きをしましたが、何度か書こうとしてもまだ書き上げられません。
今回、KEN NAKAHASHIさんを訪問させていただき、中橋さんが優しい口調で、嬉しそうに佐藤さんのお話をしてくださり、私も佐藤さんの作品の感想をお話することで、初盆のお宅におじゃまさせていただいたかのように、ホッとしました。
私もずっと佐藤さんの作品を見た時の感想を話したかったのだな、と。
中橋さん、画廊を閉室された後も、話にお付き合いいただき、ありがとうございました。作者、作品への敬意と配慮を含めた優しい空間、素晴らしかったです。
また、中橋さんより、今後、佐藤雅晴さんの作品が展示される機会が複数あることを伺うことができました。佐藤さんの展覧会を巡る旅行をするのが楽しみになってきました。
佐藤さんの作品はハードディスク、複数箇所での物理的保存、Cloudなどのネットワーク保存で、これからもずっと、私たちがこの世からいなくなっても、後世の方々が楽しめることがわかりました。
このお話を伺ったときは、本当に良かった、と思いました。
なぜなら、原美術館さんのナムジュンパイクさんのブラウン管テレビの作品が、部品不足で壊れたまま、もう数年が経過してしまったのを見ていたからです。
▼美術手帖さんから佐藤さん追悼の記事。
▼もともと職業訓練校や教育に使われていた古い建物が会場。KEN NAKAHASHIギャラリーもそうですが、人の気配の感じる空間に合う作品が多い気がします。(※会期終了)
▼都心で様々な作品と交差している佐藤さんの作品はまた違った雰囲気でした。大画面で"Calling"を見られました。
(※会期終了)
▼佐藤雅晴さんのご好意で、作品、インタビューがYou tubeに。いつでも会える作家さんになのです。
佐藤雅晴さん、何度も鑑賞したくなる作品を作ってくださってありがとうございます。You tubeにもあげてくださったので、オランダ人を始め、海外の友人にも、佐藤さんの作品を通じて、福島の状況、東京の日常を伝えることができました。《ダテマキ》には説明が必要でしたが。