2020年も始まって2ヶ月目に入ってしまいましたが、「これは!」と思う展覧会に出会えました。
DOMANI・明日2020「傷ついた風景の向こうに/ Landscapes in Our Age: Scarred and Reborn」です。
会期:2020年1月11日(土)~ 2月16日(日)
休館日:毎週火曜日(2月11日(火・祝)は開館、12日(水)は休館)開館時午前10時~午後6時、毎週金・土曜日は午後8時まで
観覧料:一般 1,000円、大学生 500円
※高校生、18歳未満の方(学生証または年齢のわかるものが必要)は入場無料
※障害者手帳をご持参の方(付添の方1名含む)は入場無料
いつもと違うDOMANI・明日展
今回は、2020年の東京オリンピック・パラリンピック年の冒頭にあたり、国が展開する「日本博2020」(※2)のプログラムに参画する特別版とします。「傷ついた風景の向こうに/ Landscapes in Our Age: Scarred and Reborn」をテーマに、多世代から精選した、国際的に知名度の高い作家から新進作家まで11名によるグループ展としました。
DOMANI・明日展を知ったのは、10年前。オランダで知り合った方の作品が展示されていたのがきっかけでした。その時以来、たまに鑑賞に来ている展覧会なのですが、正直に言うと、私には「難しい」と言う印象が強い展覧会でした。
佐藤雅晴さんに会いに
そんな私ですが、初日にこちらの展覧会へ。目的はもちろん、佐藤雅晴さんの《福島尾行》《I touch Dream》です。
佐藤雅晴さんは2019年3月9日に、45歳の若さで惜しまれながら他界されてしまいました。もう、佐藤さんの新しい作品を見ることはできません。ご自身が一番悔しかったでしょうし、私を含む佐藤さんのファンもとても残念に思っていました。
そんな中、佐藤さんのご友人であり、ギャラリーをされているKEN NAKAHASHIさんが、佐藤さんの追悼展覧会の際、今後も佐藤さんの大躍進は続くことを教えてくださり、DOMANI・明日展を心待ちにしていました。
佐藤雅晴さんの作品を目指して、初日に向かいましたが、心にメッセージを投げかけられるような作品が多く、閉幕前にもう一度、と思っています。
▼昨年最後の日記は、佐藤雅晴さんのことを書かせていただきました。
▼昨年、新宿のKEN NAKAHASHIギャラリーで開催された"I touch Dream"
傷ついた風景の向こうに
展覧会のタイトルにも含まれる「傷ついた風景の向こうに」というフレーズ。
展覧会の構成は
プロローグー身体と風景
1.傷ついた風景ー75年目を迎える広島と長崎
2.「庭」という風景ー作家の死を超えて
3.風景に生きる小さきもの
4.傷ついて風景をまなざす、傷ついた身体
5.自然の摂理、時間の蓄積
エピローグー再生に向かう風景
という繊細な章立てが並びます。
プロローグから衝撃的でした。
石内都さんの撮影した広島ドーム、手術跡、お母様の肌の写真が並びます。どの被写体も傷を負っていますが、「今、ここにいる」という、力強いエネルギーを感じました。
▼石内都(1947年生)《Mother's 25 Mar 1916 #46》
▼プロローグの石内都さんの写真にあった、手術の傷跡の写真。苦手な方もいらっしゃるので、ここには載せませんでしたが、誰しも病気や怪我で手術をし、傷跡が残ることがあります。場所によっては見られたくないこともあると思います。自分はそれを再生の証ととらえられるのか、考えさせられます。
その後、米田知子さんの撮影された、フランス、サイパン、靖国神社と言った、かつての戦地や戦死された方を祀る地の写真が続きます。
2人の写真家の作品だけでも、正直、胸がいっぱいになりましたが、まだプロローグ。
全員をご紹介したいところですが、その中でもさらに印象に残った作品を。
▼「1.傷ついた風景-75年目を迎える広島と長崎」より
藤岡亜弥(1972年生)《川はゆく》20点のうちの1点
▼「3.風景に生きる小さきもの」より
栗林慧(1939年生)・栗林隆(1968年生)
《我々の宇宙》インスタレーション
大画面に映し出される昆虫の世界。この空間で長く立ち止まる方が多かったのが印象的。綿毛と蟻のタッチ!昆虫の世界の住人のような方々なのかもしれない。 放射性廃棄物を入れたシェルターバッグのタワーと、そこで生きている昆虫の映像。こんなに一生懸命、草を食べてるのか、と思ったら、なんとも言えない気持ちになった。
展示会場のパネルより
自然界がこのように激変する中にあって、いつも写真のモデルとなってくれる昆虫たちの姿を通して、彼らがどんな思いを持って世界を見つめているのか、その思いが伝わるような作品にできたらと思っている。
栗林 慧
▼「4.傷ついた風景をまなざす、傷ついた身体」
佐藤雅晴(1973-2019)《福島尾行》
音の出ないピアノが奏でるのはドビュッシーの「月の光」。駅の近く、沿線に、放射性廃棄物が日常の光景として置かれる違和感。東日本大震災後もそこに住み続け、働く人々を丁寧にトレースした作品です。
こんな感じで、佐藤さんのドイツ時代の初期の作品《I touch Dream》と同室で展示され、鑑賞者も含め、一体化した作品となってました。
▼「5.自然の摂理、時間の蓄積」
日高理恵子(1958年生)
まるで大きな木の下にいるかのような、大学時代、真冬に桜並木の下を歩いていた、まだ何ものでもない、宙ぶらりんな気持ちを思い出しました。
▼宮永愛子(1974年生)《景色のはじまり》
12万枚の金木犀の剪定葉の葉脈を使った、天井まで届く、大きな作品。国立新美術館の広い会場を生かした展示となってました。
黄金に輝くようにも見えるカーテン。
《はじまりの景色》という、生き生きとした緑の金木犀の葉とともに。
宮永愛子さんの作品は、恵比寿のNADiff Galleryの展覧会「漕法 はじまりの景色」で初めて拝見しましたが、美しいだけでなく、考えさせられる作品が多いように思います。
文字が反転しているのが、ダ・ヴィンチのようで、作品の向こう側の世界の存在を感じてしまいます。
▼「エピローグ-再生に向かう風景」
畠山直哉(1958年)《2018年10月11日 宮城県亘理町》
東日本大震災にも負けずに葉っぱをつけている木。
展示会場のパネルより
個体の集まりとしての樹木。去る者もいるが、樹木自身は大地に根を張り動かない。樹木とは「われわれ」の暮らす集落のようなものだ。
畠山 直哉
アーティストの名前の横に(●●●●年生)
途中で気づきましたが、アーティストの名前の横に「●●●●年生」と、わざわざ「生」が付いていました。この漢字一文字だけで、生きていることの尊さを感じるような気がすると同時に、若林奮さん、佐藤雅晴さんのお名前の横には、亡くなられた年があり、生と死の間のようなものを感じ、「傷ついた風景の向こうに」というタイトル、「明日」という単語に結びつく何かがあるような気がしました。
あの展覧会を似た空気を感じました
今回の展覧会を見て思い出したのが、昨年、原美術館で開催された" The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Progect"
静かなアート作品が、世界に向けて静かに、でも、自然への畏怖と敬意を強く伝える展覧会でした。
今回の「DOMANI・明日2020 傷ついた風景の向こうに」にも、人間を含めた自然への畏怖と敬意、また、災害や怪我などを乗り越え、生き残って、後世のものに何かを伝えようとする力を感じました。一方で、参加作家の死についても触れ、作家さんたちは亡くなられても作品は生き続ける、永遠のようなメッセージも感じました。
「傷ついた風景の向こうに」何が見えるのか、何が聞こえるか、何を感じるのか。
▼昨年、原美術館で開催された"The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Project"