アーモンドの花を探しに

アムステルダムに住んでいたのら博士(理学)のMooiが好きなことやひとりごとを書いてます。2020年4月に国家資格キャリアコンサルタントを取得し、お役に立ちたいと考え中。

【ひとりごと】皆川明さんのトークイベントに参加して(1)

ファッション関係には全く疎い、のら博士のMooiです。

そんなMooiですが、2020年2月16日まで開催の「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」展のトークイベントに当選しました!現在、キャリアコンサルタントの試験勉強中で、絶賛、受験生ですが、皆川明さんのお話を伺えるのなら、とイベント前に展覧会を鑑賞し、皆川明さんのお話を伺ってきました。

f:id:Berlaarstraat0707:20200211220330j:plain

備忘録も兼ねて、少し書いてみます。今回の展覧会はトークイベントやナイトイベントが多いのが特徴の一つでしたが、のちに本にまとめてくださるそうですので、詳細はそちらでご確認ください。参加できなかったイベントばかりなので、私も今から楽しみです。

皆川明さんは、女性でしたらご存知の方も多いと思いますが、mina perhonenという洋服やテキスタイル、バッグなどの小物やアクセサリーのデザイン〜販売まで手がける企業の代表をされてるデザイナーさんです。

▼ミナ ペルホネンのHP

www.mina-perhonen.jp

▼私が最初に手に取ったのは、研究所に勤務し始めた頃に出版された、こちらの本。この蝶々の刺繍が好きで、どんな方がデザインされてるのかなぁ、と思い、図書館で見つけて借りたのでした。 のちの勤務先が、mina(当時の名称)があった白金台になって、喜んだのを思い出します。

ミナを着て旅に出よう (文春文庫)

ミナを着て旅に出よう (文春文庫)

 

 20年近く、minaという名称だった頃から、「いつか着てみたいな」と思っていたブランドですが、結局、貧乏博士にはなかなか手が出ない価格で諦めているうちに、mina perhonenが似合わないようなおばさんになってしまいました。

ただ、今回の展覧会を鑑賞して、私よりずっと年配の方が、実際にmina perhonenの洋服を日常に着てる様子を映像で見て、少し考えが変わりました。

 

登壇された皆川さんは、想像よりもちょこんと座るような、すれ違っても気づかないかも、と思うほど、清潔感のある、普通のおじさんでした(失礼)。シャツに紺色のセーター、グレーの細めのスラックス、黒い靴下に黒い靴。普通に見えるけど、とても良いものをお召しになってるのは私でもわかる感じ。特にスラックスには、キリッと線が入っていて、お話の筋が通っているというか、「つながってる、つづいてる」というキーワードにもつながるような線に見えました。

最初に照れながら、「本などで書いたことと同じことを言ってしまうと思うので、聞いたことがある方のために旅の映像を流しますね。」と気遣ってくださいました。

今回のトークイベントのテーマは

「出会う」「つくる」

大きな出会いとして、皆川さんが最初に挙げられたのは「陸上」でした。中学時代は小柄だった皆川さんでしたが、いとこの影響もあり、陸上部に所属されたそうです。その時、「先を思いながら練習する、今やってることが将来、何になるかと考える思考パターンにつながった」そうです。また、陸上は「個人としての成長が見やすい」、つまり、「自分の中で言い訳が聞かない競技であり、とてもありがたかった」そうです。皆川さんからは、「ありがたい」「つながる」という2つの言葉が多く聞かれたように思われます。話がずれましたが、陸上における試合が、デザイナーになってからは「コレクション」に相当するそうです。

 

続いて、皆川さんの過去のお話。

高校を卒業して、ファミレスのデニーズでバイトをした貯金で単身パリへ。フランス語の語学学校で会った方がファッション関係者で、ファッションショーでバイトをされることになったそうです。

それまではファッションとは無縁だった(陸上部ではジャージ)皆川さん。ファッションショーという特別なもののお手伝いをし、「とても強い感情」を得たそうです。みんなが一分一秒を争って、ショーをしていう様子に圧倒されたようです。

皆川さんのすごいな、と思ったのは、その後の行動です。「私は手が不器用で経験値もない、不十分さを感じました。そこで、苦手なことを一生やった方が良いだろう。(人生が)30-40年くらいあるなら、いつかまぁ、生活できることができのでは」という発想に。苦手なことを一生やっていく、なかなか選んで実行できることではないと思います。人生の選択に影響を与えたのは、1つの企業でサラリーマンを全うされたお父様。お父様が家族を養うために40年働いてくださったことを尊敬されていたそうです。そこで、「自分もひとつのことをやってみようと思えたのは大きなことだった」そうです。

 

その決断の後、縫製工場で仮縫いや裁断(だと思う)、また、小さな工房でアシスタントなどをされて、デザインとは違うプロセスを経験。一通りの経験をされて、一人で一着の服を作れるようになった26歳頃に、minaにつながったそうです。

陸上だけでなく、魚市場で働いた時の「出会い」もminaに影響を与えたそうです。アトリエを開いてもそれだけでは生活ができない状況で、たまたま仕事で使った広告で見た求人が魚市場の求人だったそうです。午前は魚市場、午後はアトリエで働き、生活しようと。

魚市場では、まぐろ担当となり、セリで最後は捨てられる安い部位である尻尾の肉で価格が決まって行くのを見て、感じたそうです。

「見えない部分を丁寧にしようと誓った。裏の始末、針目の落とし方、手抜きが解消されていないのは、やっぱりよくない」

セリだけではなく、市場似通ってる仕出し屋さんにも学んだそうです。「できる職人ほど、自分できれいに(魚を)〆る。できないひとは僕たちに仕事を振ってくれる(笑)」。

「素材に向き合う」、質とはどうあるべきか、という思考につながったそうです。

minaができた1994年頃は、日本はデフレスパイラルで景気が悪くなっていく時期で、ファッション業界では、安い衣類の大量生産が始まっていたそうです。

そんな「安くて廃棄につながる」「どこで作られたかわからない」状況が耐え難かったようです。

一方で、そんな時代だったので、小さな工場が仕事を受注されず、空いていたので、お願いできたそうです。また、セレクトショップ台頭期(私もセレクトショップにはまったひとり)で、1人でミシンがあれば、小さくファッションを始められる時期だったそうです。

洋服に関しては、「1シーズンも経たないうちにどうてこんなに価値が下がるのだろう」と理不尽さを感じたようで、「自分野中だけでもやってみよう」ということで「本当の作り手のリレー」という、今のmina perhonenのような、デザインから製造、販売まで一手に行う会社になっていったようです。

「陸上、魚市場、そして経済の衰えが、ファッション業界のバランスの崩れに気づかせてくれた」と、過去の経験がつながってると話してくださいました。

 

今回の展覧会のタイトル「つづく」については、「ものづくりは時間が重ねられている。機会と人が続いていくことがとても大切。」というお考えからつけられたそうです。

mina perhonenを代表する柄、丸い円がつながってる「タンバリン」(2000年〜)も、刺繍に使われてる糸は全部つながっていて、1本。

粒も繋がっています。

会場の解説で見たところ、

ひとつの輪に使われてる糸の長さは6.93m!

ひとつの輪を刺繍するのに9分37秒

生地一反には、6760の輪!

ひとつひとつの個性の異なる粒が連なり、輪を描く図案

(会場の解説パネルより)

がタンバリンだそうです。

▼「タンバリン」は手描きの丸が繋がった刺繍のテキスタイルです。

www.mina-perhonen.jp

トークイベントの客席には、展覧会でも展示されていた「シェルハウス」という宿泊施設のプロトタイプの設計、建築された中村好文さんもいらっしゃり、会場の参加者の拍手に、立ち上がって、笑顔で答えてくださいました。とても優しそうな笑顔で印象的でした。

 

▼「シェルハウス」は撮影禁止だったので、こちらをどうぞ。

www.1101.com

 

続きは、模擬試験が終わってからかもしれません。その頃には、展覧会は最終日を迎えてしまいますが、私にとっては、試験勉強を継続していくエネルギーwお与えてくださったトークイベントなので、「つづく」。