アーモンドの花を探しに

アムステルダムに住んでいたのら博士(理学)のMooiが好きなことやひとりごとを書いてます。2020年4月に国家資格キャリアコンサルタントを取得し、お役に立ちたいと考え中。

【東京都大田区池上】古民家カフェ蓮月のクラウドファンディグが始まりました!

池上本門寺力道山さんのお墓を見つけるのに毎回、道に迷うMooiです。

そんな池上の古民家カフェ蓮月が、昨年の台風による被害の修復、今回の新型コロナウイルスによる休業により、経営に大打撃を受けています。

▼蓮月はもともとはお蕎麦屋さんでした。その時のお蕎麦屋さんを経営されていたご夫妻はご健在で、たまにカフェになった蓮月を訪問されるほど、カフェの経営をされてる輪島さんを信頼しているご様子(instagramtwitterの情報より)。

蓮月とは、昭和8年(1933年)に建てられた木造の日本家屋です。一階はそば屋、二階は旅籠や結婚式の宴会場として使われていました。長年「そば処 蓮月庵」として地域の人々に愛されてきましたが、店主の高齢にともない、2014年、惜しまれつつ閉店しました。「蓮月庵」閉店後、建物の存続を願う地元の人々により「池上和文化プロジェクト」が発足し、建物存続のための話し合いや活用方法の提案が何度も行われました。最終的に、大田区で古着屋を経営していた輪島基史に白羽の矢がたちます。地元の方々の熱い想いを受け、輪島は蓮月を「古民家カフェ」として再生させることを決意しました。この時、蓮月はすでにあちこちが傷んでいましたが、輪島の先導のもと、多くの有志の手で、建物の改修や掃除などを進めていきました。

▼現在の蓮月のホームページ。どの写真からも古民家の持つ、人の温もりを感じます。

rengetsu.net

▼ついに蓮月が、存続のためにクラウドファンディングを始めました。

近所の子どもたちの自習室としても利用されていた貴重な場所です。

camp-fire.jp

2019年、日本列島を襲った2度の台風被害により、建物や屋根の一部が破損し、大規模な修繕が必要になりました。瓦の簡易な修繕費だけでも約300万円かかります。本格的な修繕を行う場合、その費用は1000万円にも及びます。 

 7月4日21時23分現在、2,383,508円が集まり、瓦の簡易な修繕費にも不足しているようです。

NHKの「ふるカフェ系ハルさん」という番組で全国で知られるようになりました。

 

▼年に一度の池上本門寺のお会式の日には夜間営業をしつつ、テイクアウトも販売してくださっています。

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▼2018年のお会式の様子

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▼幻想的な光景です。

www.youtube.com

池上本門寺からもほど近く、池上本門寺付近を散歩をしてから蓮月でお茶、蓮月でランチしてから池上本門寺へお詣り、なんてことができます。

大田区では昨年、文化財として保存すべき建築物だった映画の街・蒲田に唯一の残された映画館が閉館してしまいました。

www.cinema-st.com

大田区で育った者として、「蓮月」さんも消えて行ってしまうことは悲しく、今回、少額ですが、参加させていただきました。

無事にクラウドファンディングで、蓮月が存続され、お蕎麦屋さん時代からの常連さんも、カフェになってからの常連さん、映画やドラマ、NHKの「ふるカフェ」で見た方々が楽しめますように。

子どもたちがまた2階の自習室を利用できますように。

しばらくの間、区内の友人との待ち合わせは「蓮月」になりそうです。

最後に、店主の輪島さんの言葉を引用させていただきます。カフェでお見かけする際も、とても腰の低い方で、地元の方々が輪島さんを頼って、蓮月だけでなく、閉店を決めていた釜飯屋さんの継続も依頼されたお気持ちがよくわかりました。

はじめまして、古民家カフェ蓮月オーナーの輪島基史です。古民家カフェ蓮月を始める前、私は蒲田の小さなビルの一階で古着屋を経営していました。その古着屋は、近隣の若い子たちが放課後の時間にやってきて、家族や恋愛の悩みを私やスタッフに話してくるような場所でした。古着屋を閉めたあと、「古民家カフェ蓮月」を経営することになりました。ご縁があったのだと思っています。カフェをオープンするにあたり、古着屋時代と同様に「ぬくもりを感じる場」になるようなところにしたいと考えました。先に触れた「放課後自習室」を始めたのも、そういった理由からです。私は昭和54年、金沢に生まれました。学校から帰宅したとき、家族が留守でも町の人々が見守ってくれる、悪さをすれば知らないおじさんが叱ってくれる、そんな環境で育ちました。近所のおばちゃんにもらうお菓子は、子どもの不安な心を和らげてくれたものです。昭和という時代は、人と人のつながりを五感で感じられるよい時代だったと思います。昭和8年に建てられた蓮月には、その古きよき「昭和」が残っており、訪れる人に、その温もりを伝えていけると信じています。時は過ぎて、100年後、
「うちのおばあちゃんはね、蓮月で勉強していたんだよ」
そんな風に、人から人へ語り継がれる店でありたい。蓮月という店が物語を紡ぎ、過去から未来へ、人と人をつなぐバトンになりたいと思っています。